不妊治療、バセドウ病治療 てるてる日記

低AMH、不妊治療、流産、バセドウ病・・日々の記録。

妊娠できる体って分かっただけでもいいじゃない。

結婚3年目。
「子供まだ?」と聞いてくる人は未だに多い。
自分の精神に余裕がある時は不快にはなるものの簡単に流せる言葉でも、余裕が無い時は大きなダメージをくらってしまう。

結婚1年目は、
自己タイミングだけだったのでまだそこまで追い込まれておらず、

「まだ結婚したばかりだし、2人の時間も楽しみたいし、赤ちゃんはそのうちね」

そんな言葉でいつも笑顔で乗り切った。
私がそう言うと、

「そんな流暢な事言ってると欲しい時に出来なくなって後悔するかもよ。」
「出産が大変だから絶対早く作った方がいいよ。」
「35までには産んだ方がいいよ。」

などといつも言われた。

結婚2年目は、
不妊治療も通い始めバセドウ病も発覚し、そして流産もあり、社交辞令でも笑顔で対応する事が出来なくなり、

「欲しいとは思ってるんだけどなかなか出来なくてね」
「欲しくて病院は行ってるんだけど、なかなか・・」

などと返答するようになった。

そして、2016年。
結婚3年目が始まり・・
やっぱり来た。恐怖の年賀状。

流産から1ケ月もたっていない状況で、周りの赤ちゃんやら、子供だらけの年賀状を見てしまったら我慢出来るわけがない。

新年早々、大泣きした。

そして、昨日。
久しぶりの友達と会った。

同時期の不妊治療開始だったので、2人で情報交換含め不安な日々を毎日のようにLINEをしては支えあっていた時もあった。

彼女は初期検査で男性不妊精子の運動率が悪い)が分かり、タイミングを飛ばして、人工受精となり、その1回目で妊娠→昨年出産した為、不妊治療の期間としては短い。

しかし、不妊治療経験者の友達だったので、気持ちを分かってくれると思い安心して会ったのだが、流産を告白した私にかけた彼女の言葉はすごくショックなものだった。


「でも、妊娠出来る体だって分かっただけでもいいじゃない?」と。。。


流産後、自分を慰める為に、彼女が言った言葉と同じような事を私は泣きながら夫に言った事がある。

「私はこのままずっと妊娠なんて出来ないんじゃないか?って不安がすごくあった。でも、妊娠出来るって事だよね?また帰ってきてくれる可能性があるって事だよね?」

ただ・・
その言葉って、
自分が、自分の為にだけなら言っていい言葉であって、決して他人が言っていい言葉ではない。

すごくショックだった。

そして、彼女はこうも言った。


「今は、辛いかもしれないけど、2ケ月もしたらきっと気持ちも落ち着くよ。
私も難産でかなり大変だったから、直後はもう二度と産みたくないって思ったけど、2ケ月もしたらまた産んでもいいかな、なんて思うようになったよ。
女性ってほんとに強いんだよね。
だから、きっと乗り越えられるよ!」


本来なら、
真逆にあるはずの「出産」と「流産」。

私は出産の辛さは分からない。
すごく痛くて辛くて、すごく大変な事だとも思う。
だけど、それでも、そこを夢見て不妊治療をしてきた人にとっては、痛い思いはしても自分の赤ちゃんを抱く事が出来たその喜びは相当のものだろう。

出産と流産は
「苦しい、痛い」という事実だけは同じかもしれないけれど、その先が全く違う。

まさかの、
出産の辛さや痛みと、
流産の辛さや痛みを、
同じ天秤にかけて話をされてしまった。

こんなショックな言葉は無かった。

しばらく、
彼女に会う事は無いだろう。

むしろ、
今は私は誰にも会わないほうがいい時期なのかもしれない。

よし、2016年は新たな気持ちで頑張るぞ!って思っていた矢先、早速、落ち込みました。